EXHIBITIONS

ハシグチリンタロウ × 山本尚志 - GRAM FORCE –

2023.7.14 [fri] – 8.12 [sat]

YUKIKOMIZUTANI

©Lintalow Hashiguchi, Courtesy of Gallery NAO MASAKI; ©Hisashi Yamamoto, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

YUKIKOMIZUTANIでは7月14日(金)から8月12日(土)まで、ハシグチリンタロウと山本尚志による展覧会 「GRAM FORCE」を開催いたします。本展覧会では「書家」として現代アートの領域で活動する二人の作品を通して、新しい「書」の形を探ります。

 

ハシグチリンタロウは1985年長崎県生まれ。戦後の様々な前衛芸術運動に影響を受け、20代より地元九州を拠点に活動しています。ハシグチの作品は、鑑賞者に一度見たら忘れられない強烈な印象を与えます。筆の代わりにタオルを使い豪快に書き上げる制作スタイルは、自身が敬愛するPUNKの反骨精神に貫かれています。本展で展開される作品群は、ハシグチ自身が日々の中で書き綴った断片的な言葉を膨らませ、書として新たな命を吹き込んだものです。

 

山本尚志は1969年広島県生まれ。19歳のときに書家・井上有一の書に出会ったことで、本格的に書の世界を志します。山本は「得体の知れない図形にその名前を書くことで、それがそのものになる」という、書が持つ命名の力に着目し制作を行っています。2017年からは現代アートとしての書を目指す集団「ART SHODO」を立ち上げるなど、様々な形で書の拡張を試みています。

 

質量の単位として使われる「gram(グラム)」は、その由来をたどると、 “わずかな重さ”を意味する言葉から派生しています。本展覧会「GRAM FORCE」では、紙の上におかれたわずかな重みの線が、それぞれの美学を持った両名に”書”として昇華されることによって、強大な力をもって鑑賞者の前に立ち現れます。

 

現在を生きる2名の書家による新たな”書”の数々を、是非ギャラリーにてご高覧ください。

 

 

『ハシグチリンタロウ 山本尚志 2人展 GRAM FORCE トークイベント』

日時:7月15日(土) 13:00-14:00(予定)
会場:YUKIKOMIZUTANI 東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEX Ⅱ 1F

 

YUKIKOMIZUTANIではハシグチリンタロウ × 山本尚志2人展示「GRAM FORCE」に合わせ、7月15日(土)に作家をお招きして「GRAM FORCE トークイベント」を開催いたします。

参加ご希望の方はご予約の上、上記日時に弊ギャラリーへお越しください。
※お申し込みは先着順となります。定員に達し次第、募集を締め切らせて頂きます。
参加申込フォームへ

 

 

ハシグチリンタロウ Lintalow Hashiguchi (1985 – )

書家 WLIGHTER(ハシグチの造語、書き、灯す人の意)

1985年、長崎県生まれ。2004年、福岡教育大学書道課程に入学。10代の頃PUNKに出会い、創作活動の原点となる。伝統的な書を学ぶも、 戦後の様々な前衛芸術運動、特に井上有一の「書は万人の芸術」という考えに触発され「日常を生きる為のエネルギー」として書を展開。日々生活の中で閃くインスピレーションを断片的な言葉でノートに書き付けている。制作は、高価な毛筆の代わりにタオルを用い、パンクロックを聞きながら一気に書き上げる。2015年 井上有一の顕彰展「天作会」メンバーに抜擢。2018年、「ART SHODO TOKYO」に選出、注目される。2019年、アートフェア東京2019出展、「LUMINE meets ART AWARD 2018-2019」グランプリ受賞 、シェル美術賞2019入選。2020年、ARTISTS’FAIR KYOTO 2020へ選出。

 

 

山本尚志 Hisashi Yamamoto (1969 – )
書家 Calligrapher
1969年、広島県生まれ。広島県在住。幼い頃に左利きを右利きに直すために習字塾に通い始め、最初、横棒一本だけを何百回も書かせられる。高校生になり、習字塾で習う字が、ただ一人の字を真似しただけのものだと気づき、退会。東京学芸大学の書道科に進んだ直後に井上有一の作品に触れ、古典臨書をやめる決意をする。自分だけのナマの字を書くことを決め、20歳の時に自室にて「山本尚志書家宣言」を行い、以来、書家を名乗る。ウナックトウキョウにて井上有一カタログレゾネの仕事に従事した後、有一から離れる決意を固める。その後、広島に戻り学習塾に就職。しかし、1年半後に倒産の憂き目に遭い、学習塾を独立開業。教室をアトリエにし、制作活動に10年間没頭。2004年に海上雅臣氏に井上有一を顕彰する「天作会」の設立を打診され、作品発表の機会を得る。